





|


年月日 |
聖書箇所 |
2015年8月30日 |
「イエスの十字架での謙遜」 (マタイ27:27-31) |
私たちにとって、謙遜になるのは難しいことですが、高慢になるのは易しいことです。聖書は、謙遜になることを教えています。イエスは、神の御子なのに、神と人に仕えて謙遜に歩み、私たちの模範となられました。
私たちが高慢になるのは、造り主なる神を認めず、自分が神のようになっているからです。そのため、他の人を侮って、偉そうにふるまってしまいます。
イエスを十字架につけた人たちがそうでした。兵士達は、イエスを「ユダヤ人の王」に仕立てて、からかい、つばきをかけ、頭を叩き続けました。ユダヤ人指導者も、民衆も、強盗も、イエスをあざけり、ののしり、苦しめました。
人はイエスを十字架につけて殺しました。しかし神が御子を死に引き渡されたので、イエスはへりくだって神の御心に従われたのです。それは、罪の無い御子が、あなたに代わって罪の刑罰を受けて、あなたの罪を赦す為でした。あなたも謙遜になって、自分の罪を認め、御子を信じ、神に立ち返りませんか。
「こんなふうに、イエスをからかったあげく、その着物を脱がせて、もとの着物を着せ、十字架につけるために連れ出した。」(マタイ27:31)
|
|
COPYRIGHT(C)2010 高槻福音自由教会 キリスト教 ALL RIGHTS RESERVED.
|
|