キリスト教 プロテスタント教会
HOME キリスト教会 大阪府 高槻福音自由教会

教会案内 大阪府 高槻福音自由教会
教会の歴史
教会の特徴
牧師紹介
交通案内
阿武山福音自由教会の紹介
【English 】

集会案内 キリスト教会 大阪府 高槻福音自由教会
集会案内
行事予定
第11回コイノニア祭2017/7
第28回チャーチコンサート2017
子どもクリスマス会2016
第6回ミニバザー&秋祭り

福音自由教会とは キリスト教会 大阪府
信仰の立場
証し集「落ち穂」よりK
ジョイジョイクラブ
<今までの更新記録>

今までのMessages
Message バックナンバー
<2018年、2017年>
<2016年>
<2015年>
<2010〜14年>

宗教法人高槻福音自由教会 ご連絡先 キリスト教会 大阪府
新年・2018年(創世記より)
神を誉めたたえよう

聖書は神さまのみことば

2016年 Messages

年月日 聖書箇所
2016年9月4日 「我らの咎のため…」 高木 実 師
(イザヤ53:4〜9)

一人の義なる「しもべ」が、「違反」「不義」など多くの罪をもつ多くの「私たち」に代わり「私たちの痛みをになった」。マタイ8:17によると主イエスは奇跡の力で簡単に病人をいやした訳ではなく、その「わずらいを身に引き受け、…病を背負って」、まさに身をもって「病を知っていた」。私たちの咎や罪のために「刺し通され…砕かれた」しもべの姿(5)は、まさに主イエスの十字架。  しもべはすべて知った上で、死へ向かい「黙って」「口を開かず」沈黙を保った。それは身をささげる自発的な決意。そのような方だけが人の身代わりになり得る。  「主の民」による「そむきの罪」のため彼は「打たれた」。不特定多数の人類一般の罪のためではなく、まさに「主の民」である私たちの罪のため。それが人類一般の罪なら「そむき」と言うには及ばない。神を神として知らずに犯す罪ではなく、神を知った「主の民」ゆえの「そむきの罪」。私の「そむきの罪のために」主ご自身が「打たれ、生ける者の地から絶たれたことを」「だれが思ったことだろう」(8)

COPYRIGHT(C)2010 高槻福音自由教会 キリスト教 ALL RIGHTS RESERVED.